今回それにぶち当たった。

リベラリズム。この言葉を日本語に訳すと自由主義ということになる。
しかし、いくつかこの「自由」を使う思想には似ている言葉があって、
少し違うだけで全く違う意味になってしまう。
自由を求めるということを前提として、表現しているようだがその手法はまったく別だ。
例えば、
自由主義(リベラリズム)・・・個人の自由で独立した選択を実質的に保障するためには、単に自由放任にするのではなく、そうした選択や自由を阻害する偏見や社会的、経済的強制を排除するなど公的な権力の介入も必要であるという社会的公正を思考する思想。市場主義では失業問題や貧困等の社会問題を解決できず、それは人々の社会的自由を阻害するということから、国家による富の再配分を肯定する。つまり、社会主義的ですね。
古典的自由主義・・・個人の自由の尊重、平等な個人の観念、権力の分立、市場経済の承認といった価値観の思想自由市場経済において個人が自由競争すれば、需要と供給、社会は安定する。
リバタリアニズム(自由至上主義)・・・各個人の自由を最大限尊重し、絶対的自由を損なう国家を廃止または最小限化することを主張する思想。経済的には市場原理に任せれば富の再配分が自動的に行われ、安定した社会ができる。(古典的自由主義ととても似ている)
新自由主義・・・人々を労働へと駆り立てることを是とし、自由主義の富の再配分により人々の勤労意欲を出すということを否定している。(反自由主義、リベラリズム)
アナルコ・キャピタリズム、アナーキズムなどほかにもいくつかあるが、それぞれ「自由」の実現のためということなのだろうが、これらの意味をしっかり理解しなくては、とんでもないことになりそうだ。
また、アメリカ政治においての共和党のコンサバティブ、民主党のリベラル、リバタリアン党のリバタリズム。この3つもなかなか厄介だ。
私の考えでは、コンサバティブは、経済面において新自由主義、古典的自由主義、リバタリアニズムな思想を持つ。リベラルは、経済面において自由主義だが、社会面においてはよりリバタリアン的。
つまり、
経済的自由を求めるのが、コンサバティブ。
社会的個人の自由を求めるのが、リベラル。
そのどちらの自由も求めるのが、リバタリアニズム。
日本が求める自由とはいったいなんでしょうか?